処世術について日本人再考日高見国

同調力

 日本人は良かれ悪しかれ、物事に同調する傾向があります。それは、これまでにも書いてきたように、日本人の遺伝子に組み込まれたものであり、同調はある意味、日本人だけが持った特殊能力であると私は思っています。同調圧力という言葉があるように、ついつい、多数意見に巻かれてしまうことはありませんか? その方が安心だと直感で感じてしまいます。 多数のメディアが言っていれば、それが正解だと信じてしまいます。病気で診察を受けた医者の診断は普通の日本人なら素直に信頼します。警察官や裁判官や先生は正義だと思ってしまいます。 でも、そのいわゆる物事への無意識な同調が、今まさに試されているときかもしれません。

 以心伝心とか、あうんの呼吸とかいう表現がありますが、長年いっしょに住んでいる人、たとえば親、子供、配偶者、それだけではなく、犬や猫などのペットも、会話しなくても、なんとなく気持ちが伝わってくることはありませんか? 特に相手が苛立っている時など、その雰囲気を何となく感じとっていませんか? でも、気のせいだろうと片づけているかもしれません。超感覚的知覚(ESP)として、テレパシーがあります。そのような超能力を持った人を、エスパーといいます。超能力だから、普通の人は持っていないと思っているかもしれません。でも、縄文時代の人たちがこのテレパシーを普通に使っていたとしたら、どう思いますか? そんなわけないだろうと思いますね。

 東北に古くから伝わる民話や伝承には、人間が動物と会話する場面がたくさん出てきます。遠野物語にも宮沢賢治の作品にもたくさん出てきます。動物だけではありません。植物、鉱物、山、川、海など、いわゆる八百万の神から話を聞いていたとしたらどうでしょう? そんなわけないだろうと思いますね。では、なぜそう思うのか。それは、いまそのようなことはできないからです。でも、昔のことを今の常識で解釈するのは短絡的かもしれません。なぜならば、いまでもその習慣は続いているからです。神社に初詣に行ったり、お祓いをしてもらったりしています。神社にはご神体があり、それは山であったり、石であったりします。天照大御神、大国主命などが祀られています。伊勢神宮や出雲大社などでは、毎日のお務め事が千年以上続いています。これらがどのような経緯で始まったかについては、私もまだよく知りませんが、いずれにせよ、今でも行われています。

 自分勝手に行動していたら、そんな千年も続くような儀式などあり得ません。世界どこを探してもそんな儀式はありません。何かに同調するがゆえに続いているのだと私は思います。そのようなものが日本にはまだたくさんあります。何も、神社に行かなければ同調できないわけでもありません。東日本大震災の時にも、誰から教えられるわけでもなく、みんな助け合っていました。これは、テレパシーと同じであると私は思います。日本人には、他の民族が持っていない特異なテレパシーが生まれながらに備わっている、いや備わっていた、のかもしれません。まさに、いまそれを使うときです。日本人が同調すれば、これほど強力なパワーはありません。おかしな方向に行こうとしているいまの日本を、正しい方向に導くためにも、いままさに日本人の同調が必要な時だと思います。何に同調すればいいかは、自ずとわかるはずです。

 日本人以外にはたぶん理解出来ない同調力。日本の未来のためにいつ使うのか? いまでしょう! なんてね。