北山と資福寺
「仙台再発見」もそろそろ終盤に近づいてきましたが、一ヶ所前々から気になっていたところがあります。古地図を見て、ますます気になったので、先週の土曜日に行ってきました。それは、「北山」地区です。北山は仙台の北方面にあり、現在はJR仙山線の北山駅が最寄り駅です。天和3年の古地図を見ていたら、仙台の北の方にたくさんの寺院が記されていました。私が知っているのは、輪王寺と資福寺くらいですが、それ以外にもたぶん十を越える数の寺院が記されています。該当部分の古地図を抽出して赤丸で印を付けました。ここは現在は北山の南に辺り、東北大学の留学生会館などがある三条町の辺りです。仙台六芒星を記した際には、奥州街道の北端にある東昌寺が六芒星の北頂点だったが、明治になって廃仏稀釈により、代わりに青葉神社が建立されたと書きました。その北端で交叉する通り沿いにいくつかの寺院があり、輪王寺と資福寺もそこにあります。その南側に多くの寺院が記されています。
そこで、実際に近くを見てみようと、赤い点線で記したところを西から東まで歩きました。というのも、いまもそのルートがまったく同じく残っています。例によって、現在の地図をGoogle Mapからいただきました。見ておわかりの通り、現在のJR仙山線北山駅から、北仙台駅までのルートになります。
そこで、JR.仙台駅から仙山線に乗って、北山駅で降りました。これまでにも何度か乗っていた仙山線ですが、何気に乗っていたこれまでとは違い、台原段丘の縁に沿って走っていることを知った後は、なるほどなるほど、と景色が見えてきました。そんな場所を走っている仙山線を北山駅で降りました。これまで駅があることは知っていましたが、実際に降りたのは初めてです。狭くトンネルのような駅でした。そこから、地図に記したルートで歩こうと思った瞬間に、仙台市街のNTTドコモのビルが見えてきました。ビルの上にサクマドロップ缶(と言ってもわからない?)のようなものが乗っているビルです。結構な下り坂であることがわかりました。北山はその名の通り、北の山でした。
坂道辺りは北山町と呼ばれています。坂道を下って行きながら、所々に小洒落たお家を見付けました。映画でもよく坂道がある町が舞台になりますが、それを真似たのか、家の前にも階段があったりして、見た目良さげなのですが、よくよく考えていれば、車がないと暮らせないところです。坂道を降りてきて、新坂通と呼ばれている南北の通りまで辿り着きました。ここは天和3年の古地図に赤丸で示したところの通りに当たり、その通り沿いにはたくさんの寺院が記されています。その通りの写真を撮りました。残念ながら、何の変哲もない普通の通りになっていました。そこで、その通りに行くのはやめて、青葉神社に向かう通りを歩きました。東北大学病院の東側に至る264号線を過ぎて直ぐのところに、輪王寺の山門がありました。輪王寺は曹洞宗のお寺で伊達家の菩提寺です。境内には立派な庭園があり、有料ですが、拝観することができます。最近、輪王寺の地下に264号線の北山トンネルができて、北山の北側地区との移動がかなり楽になりました。ただし、今回は輪王寺を見る予定はないので、通過しました。
さらに少し歩いたところに、慈雲山資福寺があります。臨済宗の禅寺で、こちらも伊達政宗と深い縁がありますが、ここでは触れません。むしろ、仙台ではあじさい寺で有名です。私も以前二度ほど写真を撮りに来たことがあります。今回も写真を撮ろうと思い、中に入ることにしました。ところが、どうも以前と様子が違う気がして、何が変わったのか、山門前の通りには大木を伐採した切り株が積み上げられていました。後で、Google Mapの写真を見てわかったのですが、この通りには樹齢数百年ほどの大きな杉の木?が両側に並んでいたことがわかりました。それらをすべて伐採してしまったようです。入口の石標の隣には、なんか隣にあるツルハドラックとの間で、駐車場のトラブルを抱えているような注意書きが置いてありました。もしかして、伐採後に駐車場でも造るのでしょうか?ちょっと、正直、がっかり感の山門入口通りに変貌していました。それはさておき、あじさいもちょうど見頃のようで、山門の階段を上りながら、途中にあるあじさいの写真を撮りました。その中から、青と白のガクアジサイの写真を載せます,白の方は我が家のものと似ていますが、花の部分がより繊細です。境内ではお茶会も開かれていたようで、たくさん参拝客がおりました。
資福寺からさらに東に歩くと、通町公園があります。ここには、辻標十三番が建っていることは以前書きました。辻標には、北山町と通町と記されています。歩いてきた北山通り?(通り名が記されたものがない)は、通町公園の南側で奥州街道に行き着きます。その奥州街道が北側に少し行ったところで、東側に直角に曲がっています。その角に青葉神社があります。そこで、青葉神社の鳥居を抜けて階段を上っていきました。階段の先に青葉神社がある、はずなのですが、神社は少し西側にあり、階段は直接神社に繋がっていません。神社の前には別の参道があり、そこに繋がる階段があります。その階段を少し降りたところで、左側に曲がって、登り階段に繋がっています。なぜこのようになっているのかは、明治維新後の廃仏稀釈に関係しているようです。もともと階段は、東昌寺の参道であったと思われます。現在、東昌寺は青葉神社の東隣にありますが、明治になって東側に移された模様です。その跡地に青葉神社を建立したのかといえば、そうでもなく、遠慮したのか、参道から少し西側に建立されています。幕末から明治にかけて翻弄された宗教界が垣間見られます。残念なのは、青葉神社と東昌寺は隣合っているのにもかかわらず、直接行く道が見当たらないことです。門が付いた私道のようなものはありますが、そこから行けるのかどうかはわかりません。現在、東昌寺に行くためには、奥州街道をさらに進んで、仙山線を跨いで行かなければなりません。それはともかく、青葉神社の鳥居前から南側の写真を撮りました。ここには真っ直ぐの奥州街道があり、芭蕉の辻、さらにその先まで続いています。
その後、北仙台駅近くにある、クロシェットでパンを買って、地下鉄で帰りました。北山駅から北仙台駅までは1.5Km程度の距離ですが、下り坂ですので比較的歩き易い道のりです。輪王寺の庭園などを見るついでに歩いてみてはいかがでしょう。