仙台再発見日記

北仙台の変遷その2

 先週の続きです。下に地図をまた示します。

 昭和3年の地図を見ますと、まずは仙山線が出来ているのがわかります。そして、北仙台駅があります。その場所はもともとは畑だったところのようです。北仙台駅の少し南に横断する形で、仙台鉄道の線路が出来ているのがわかります。その始発駅は、奥州街道の青葉神社付近であったこともわかりました。以前、その場所を探して、写真を撮り、現在の通町二丁目辺りにある駐車場がその跡地であると書きましたが、もっと西側に位置していたことになります。仙台鉄道はここから東に向かい、仙台東照宮の右側を北上してから少し西側に向かい、その後、八乙女、富谷、大衡を通り、古川の辺りまで走っていました。

 さらに南の方に目を向けると、第二高等学校と書かれたところがあります。同じ昭和3年の地図にはここからははみ出して見えませんが、現在、仙台二高が有る場所には、第二中学と書かれていることから、いわゆる旧制二高のようです。地図の左下角に、同じく黄色になっているところには、帝国大学医学部付属病院が出来ています。その医学部から第二高等学校まで通っている、現在の北六番丁通をよく見ると、通りの真ん中に水色の線が引かれています。これは、四ツ谷用水本流の堀であったと推測します。昭和3年にはまだ、北六番丁に外から見える立派な堀があったのでしょう。

 次に昭和27年の地図を見ますと、仙台市電の路線が記されています。昭和3年の地図には同じ場所に赤い点線が示されていることから、その時からすでに市電の路線は決まっていたようです。以前に調査したときは、市電の北仙台駅の位置がよくわかりませんでしたが、これを見ると、通町のところで90度東に曲がり、その後すぐに北に曲がって、仙山線の北仙台駅の側に始発駅があったことがわかりました。以前に書きましたが、仙台市電の開通に伴い、通町を始発にしていた仙台鉄道の駅は、北仙台駅を始発に変更されたようですが、昭和27年の地図には、仙台鉄道は既に廃止されています。そこで、もう一つ買っていた昭和22年の地図を見てみました。下に示しますように、仙台市電の始発駅と仙台鉄道の始発駅が、仙山線の北仙台駅近くにあったことがわかります。戦後、北仙台駅周辺は結構、人の移動で賑わっていたのだろうと想像します。あと、昭和3年の地図では、第二高等学校と記されたところは、東北大学農学部になっています。ただし、その農学部はすでに青葉山に移転しており、現在その跡地はイオンモールが建設中です。

 最後に現在の北仙台駅周辺を、Google Mapからいただきました。奥州街道はいまもあります。青葉神社だけでなく、東昌寺もあります。ただ先にも書いた通り、奥州街道から東昌寺に直接繋がる道がありません。支倉常長の墓も記されています。偶然、東昌寺が菩提寺であったことを知りました。JR北仙台駅と交叉する形で、地下鉄南北線が通っています。これも先に書きましたが、戦後賑わっていたと思われる仙台駅周辺にまっすぐ繋がる通りがありません。市電を開通した際に造られた曲がりくねった通りがそのまま残る形で、周辺にはマンションなどができてしまい、通りを再整備するのが不可能になったものと推測します。