お散歩コース紹介仙台再発見日記

元寺小路の不思議

 前回の「仙台駅近くの四ツ谷用水跡」の続きになります。まずは、マップを新たに造りました。 前回は仙台駅近くにも四ツ谷用水の名残が見られる話でしたが、中央通り商店街とアエル前の四ツ谷用水跡について紹介しました。四ツ谷用水の支流はJR東北本線ができるまで、仙台駅東側にまで元寺小路と名掛丁通りを流れていました。水色で示したのが支流ですが、一つは、芭蕉の辻から、中央通りを名掛丁まで流れていました。また、仙台市役所辺りから流れてきた支流が途中、元寺小路を沿って流れていました。上町段丘の縁に沿って流れているのがわかります。現在、名掛丁通りと元寺小路は、JR東北本線により線路のところで途切れています。繋がっていません。元寺小路は仙台駅東側で復活するのですが、名掛丁は仙台駅西側で終わっています。

 話は少しずれますが、現在そこには広瀬通りから伸びる道路の架橋が架かっています。この架橋が出来る前には、ここにX橋というのがありました。私も名前だけは知っていましたが、特に行く理由もなかったので渡ったことはありません。なんでX橋なのか調べてみましたところ、元寺小路と名掛丁通りはほぼ平行して仙台駅の東側まで続いていましたが、JRの線路ができるため、架橋を造る際に、元寺小路と名掛丁通りのどちらに造るかでお互い譲らず、結局、二つの通りの真ん中に架橋を造って、いずれからも渡れるようにした結果、X字のような架橋になって、X橋と呼ばれるようになったようです。その跡地が仙台駅東側の「X橋車町通元寺小路公園」というところにあります。公園に行くためには、現在の架橋を渡らないと行けません。その公園の東角に、架橋の土台が残されていました。合わせて、X橋を描いた絵もパネルになって展示されていましたので、写真を撮りました。

 X橋跡を見てから、また駅西口に戻って、元寺小路を歩きました。その前に、中央通りと愛宕上杉通の角に、辻標五十三番と五十四番がありましたので、写真を撮りました。辻標五十三番には、「日吉丁」と「名掛丁」と記されています。ただ、低木で日吉丁の「丁」が見えなかったり、名掛丁の上の方に張り紙の跡があったりと、町なかの邪魔者?扱いされている感がありました。それはともかく、名掛丁はすでに説明したのでわかりますが、日吉丁は知らないので、調べてみました。もともと、東五番丁通りは、名掛丁が北端だったらしく、これ以北には道がありませんでした。地権者だった日野屋と吉岡屋が土地を提供して私道を造り、明治末期に名掛丁から元寺小路まで繋いだようです。その二者の頭文字をとって、日吉丁通りと名付けられました。現在の愛宕上杉通に当たります。戦後、日吉丁通りは、さらに北まで伸ばして拡張されました。先に紹介した辻標五番には、「上杉山通」と記されていましたが、東五番丁通りと上杉山通りが私道と繋がり、戦後の愛宕上杉通になったのでしょう。Google Mapを見ると東四番丁通りまでは仙台駅西側にありますが、東五番丁通りと東六番丁通りがありません。そして、仙台駅東側に行くと、東七番丁通りから東九番丁通りまであります。たぶん、戦後に仙台駅を造った際に、東五番丁通りは愛宕上杉通、東六番丁通りは駅前通になったものと思われます。

  もう一つ、辻標五十四番が愛宕上杉通を挟んで、中央通りを少し越えた所にあります。それには、「東五番丁」と「新伝馬町」と記されています。愛宕上杉通が東五番丁だったことが確認できます。仙台城下には伝馬町が4ヶ所あったようで、そのうちの一つがここにあり、十頭の伝馬が置かれたいたと記されていました。

 さて、元寺小路に戻ります。仙台駅西側の元寺小路は、JR線路の直前から線路に架かった架橋の北のすぐ下側にあり、架橋の西側入口にある交差点のところで合流します。架橋に繋がっている道は広瀬通りです。広瀬通りを少し西側に歩くと、辻標四十一番があります。そこには、「元寺小路」と「茂市ヶ坂」と記されていました。元寺小路であったことが確認できます。一方、茂市ヶ坂(もいちがざか)は初めて聞く名前なので、調べてみたところ、仙台七坂の一つで、元寺小路から花京院通りに登る坂のことで、たしかにすぐ先に北側に登る茂市ヶ坂があり、駅前通に繋がっていました。この坂は、上町段丘の縁にある坂であることがわかります。さらに広瀬通りを西側に歩いて行くと、愛宕上杉通に着きますが、ところが、元寺小路は茂市ヶ坂のところから愛宕上杉通まで途切れています。上の地図では赤の点線で、元寺小路を繋いで示しましたが、これは元々あった場所で、四ツ谷用水に沿って小路を示しています。でもいまはそこにはビルが立っており、小路と用水の形跡はありません。愛宕上杉通にある広瀬通りとの交差点から西側を見ますと、右の方に斜めに進む道があります。これが一旦途切れた元寺小路の続きになります。たぶん戦後に愛宕上杉通と広瀬通りを整備したため、分断されてしまったのでしょう。

 この斜めになった元寺小路を見ますと、左側の歩道だけが道路と同じくらい広いことがわかります。道路側なのか歩道側なのかはよく調べていませんが、いずれかはもともと四ツ谷用水の支流が流れていたところで、現在はそこを埋めてしまったようです。最後に、そもそも造ったときから元寺小路ですから、もともとはお寺があったが、造ったときにはなくなったと解釈できます。実際、四ツ谷用水が出来る前にはお寺があったようですが、造る際に移転させられたらしいです。駅の東側には、新寺小路がありますが、もしかして、こちらに移転されたのかどうか、あいにくまだそこまで調べていません。

 この先も続くのですが、書いているうちに結構な分量になってしまったので、後日改めて書きます。