偉くならなくてもいい?
会社に就職したら、できればいつか偉くなりたい、と昔の人はだいたい思っていたはずなのですが、最近聞こえてくるのは、私は別に偉くならなくてもいい、というちょっと達観したような声です。このご時世、そもそも会社自体が永続するかどうかもわからないのに、そんな偉くなることなど考えても無駄だと思ってしまうかもしれません。1年も勤めないうちに、そこの会社が嫌になってやめてしまう人もいます。自分に実力のある人ならば、キャリアアップしながら、給与もアップしていくこともできますが、普通の人は、次の職場を見つけても、給与はたぶんダウンするでしょうね。今のご時世、平社員のままでいるのはむしろ難しいかもしれません。リストラの対象になってしまうからです。たしかに、昔は終身雇用が原則でしたから、歳をとれば自然と上のポストに異動して、特に努力しなくても偉くなることはできました。いまは、トップダウンで人事も決められるので、たとえば、アイツは気に入らないと思われると、場合によっては、いわゆる飛ばされてしまうかもしれません。
話しは少し戻りますが、はたして、本当に偉くならなくてもいいと思っているのでしょうか?人間は生まれながらにして他人と相対的な関係に置かれて育ち、他人との間に相対的な価値観が生まれます。そこに本能としての承認欲も生まれます。承認欲は本能ですので、人は誰も避けることはできません。要するに、自分を認めてもらいたいという欲です。偉くならなくてもいいと思う人は、自分と同期入社した人が自分より先に出世したら、どう思うのでしょうか?その人に、妬みや嫉妬など、ルサンチマンを感じないのでしょうか?以前、絶対的な価値観を持ちましょう、ということを書きました。相対的な価値観からは、どうしても優越感や劣等感だけが生まれてしまい、これはまさに承認欲に起因していますので、尽きることがないからです。偉くならなくてもいいというのは、一見すると絶対的価値観を持っていると解釈することもできますが、本当にそうでしょうか?
「偉くならなくてもいい」という言葉の裏に、「本当は偉くなりたいが無理かも」という諦めの言葉が透けて見えるのは私だけでしょうか?本当に絶対的な価値観を持っている人は、そもそもそんなことは言わないように思います。絶対的価値観を持っている人は、もちろん偉くなることに価値を見いだしている人もいるでしょうが、そんなの価値なしと思っている人もいるわけです。絶対的価値観とは、周りに左右されない自分本位の価値観です。もし、できれば偉くなりたいけど、自信がないのだとしたら、それは最初からもう諦めていることになりますね。私も仕事柄、大手製造業の会長、社長、重役さんなどと話す機会がありますが、よく聞いたのは、とにかく入社して3年間はやめずに勤めなさいということです。なぜならば、3年くらいは勤めないとそもそも全体がわからないからです。1年でやめてしまうのは、何もわからないうちにやめてしまうことになります。このような人は、たぶん次の職場でも同じ事を繰り返してしまうでしょう。
この仕事は自分には向かないから、職場の上司や同僚が気に入らないから、と転職してしまう人は、次の職場でも同じことを繰り返してしまう恐れがあります。まずはあまり好きでない仕事も、プラス1%の心がけでこなして、3年くらい続けるとだんだん仕事に慣れてきて、たぶんその仕事が板についてきて、そこで自信も生まれ、それを土台にして新たな展開が始まります。そのとき、初めて実力がついたと実感できるはずです。どんな仕事でもその仕事の実力をつけようと思ったら、少なくとも3年は必要であるということかと理解します。偉くならなくてもいいと言っている人は、実力がないと最初から諦めている人か、偉くなりたいが自信がない人か、実は偉くなりたいことをあえて隠そうとしている人か、人生を達観している人とは決して思えないのは私だけでしょうか?