人生について俯瞰力について俯瞰的だった縄文人処世術について

俯瞰的だった縄文人

 冬は冬服、夏は夏服を着るのは日本人にとっては常識です。日本人だけでなく、季節のある国では必然です。たまに、冬でも半袖を着ている外国人が日本に観光で来ていますが、これはたぶん体温が日本人より高いようなので、あまり寒くないのでしょう。小学生などは半袖、半ズボンで冬も学校に通っている子もいます。私も小学生の時は年中半ズボンだったように記憶しています。でも、日本の季節感がわからず、寒さや暑さに戸惑う外国人観光客もいるでしょう。たとえば、アメリカ西海岸などは年中温暖で、一年中同じ服装で過ごせます。だいたい、日本の初夏で着る服を着ています。年中同じ気候のところでは季節感というワード自体ないのでしょう。でも日本では季節だけでも気を配って生きていかないと、急に寒くなったときに、ストーブを使おうとしても、灯油缶が空だったりすることもあります。四季がはっきりしている国はそんなにありません。

 日本は約2万年前までは、大陸と陸続きでした。寒くなったら暖かいところに移動することもできますから、遊牧民のような生活の方が向いていたことでしょう。でも、その後、地球は急激に温暖化して約1万年をかけて、海面が140mも上昇したことから、日本は島国になってしまいました。そのため、寒くても暑くても島国の中で生きていかなければならなくなりました。一見、島国に閉じ込められた不幸な民族のように感じられます。大きな地震も定期的に起きます。富士山も噴火します。台風や大雨で洪水や災害も起きます。そのたび、生活が破壊されてきました。なんで、そんな厄介なところに日本人は住んでいるでしょう?それを聞かされれば、外国人もあまり住みたいとは思わないはずです。でも約2万年前から日本列島という小さな島国に日本人は住み続けています。むしろ島国だったおかげで、他国に占領されることもなく今日に至っています。海に囲まれ、雨が降り、海や山から自然の恵みもたくさん得られます。

 日本列島では春夏秋冬と季節が変わりますから、季節に合わせて生活しなければなりません。春に植物は芽生え、夏に栄え、秋に収穫を迎え、冬に枯れます。したがって、植物由来の食べ物は温かい時しか収穫できません。縄文時代にはまだ稲作は始まっておらず、大規模な定住型の生活は無理でした。かといって、遊牧民のような生活も島国ではできません。そんな縄文人がたどり着いた生活スタイルは、非農耕型定住生活であったことが最近の遺跡発掘でわかってきました。季節に合わせて収穫できるものを変え、また保存食にして食べ物を保管していたようです。これは、「縄文カレンダー」に記されていますが、植物だけでなく、小動物や魚・貝など、季節ごとに収穫できる物を把握して春夏秋冬を生き抜いていたことがわかってきました。また、乱獲しすぎて、来年から収穫できなくならないように、収穫量を抑制していたこともわかってきました。小動物の捕獲範囲を年ごとに変えていたようです。いつ、どこで、何が取れるかを把握しておく必要がありますので、季節を正確に把握するため、夏至や冬至のみならず春分や秋分も太陽の位置からほぼ正確に判断していたようです。

 三内丸山遺跡にはクリの木から造った6本柱からなる大型掘立柱建物が有ったとされています。現在復元されていますが、何かの「建物」であったとする説が主流になっており、屋根のようなものも付いていますが、実はこの6本柱は3本ずつ直列に並び、かつそれぞれの列は並行になっています。その列が向いている地平線上に太陽が昇った時が夏至になることが研究者により明らかにされました。縄文人にとって、太陽は季節を正確に教えてくれる神様であり、その季節に合わせて動植物は繁栄して、その恵みをいただくことにより、生きていくことができたわけです。太陽、動植物、山、川、土地、すべてに神が宿り、「八百万の神」の存在を信じ、すべての神に畏敬の念を持つことが、1万年以上の長きに渡り、日本人に染みついて遺伝子化されたと私は信じます。生きるために、季節を知り、災害に備え、食べ物を知り、自然を大切にして八百万の神を信仰し、周りと共存する利他の心を身に付けて生きてきた。まさに日本人はもともと俯瞰力を生まれながらに持っている民族であると私は思います。