俯瞰力について俯瞰力を鍛える方法その3処世術について日本人再考趣味と勉強

俯瞰力を鍛える方法その3

 大学1年のときに、NECから発売されたPC8001という卓上のPC(当時はマイコンと呼んでいた)を16万8千円で購入して以来、プログラミングが趣味になって、その延長で研究に繋がって、その後40年近く研究としてプログラミングをしてきました。幸いにも、仕事という感じはあまりなく、むしろスパコンを使ったシミュレーションゲームを40年間楽しんできたというのが正直なところです。なかなか、趣味と実益が一致することはないでしょうから、幸いな研究者人生でした。でも、プログラミングにばかり夢中な人生でしたので、それ以外のことにはあまり関心を抱かず,生きてきたことも事実です。直接我が身に関係がなさそうな、政治・経済や、国際情勢などの時事もそうですが、まして日本の歴史、そして世界の歴史にも全然興味がありませんでした。それに変化があったのは、まさにコロナが流行し始めた頃です。そのきっかけについてここでは書きませんが、その後の変化として最も大きいことが、「読書」を始めたことです。

 もともと国語が苦手で、読書も嫌いだった私ですが、なぜか書くことは好きでしたので、いずれ小説でも書きたいと思い、ネットでいろいろ調べていたら、本を読まないやつは小説など書けないとあったことも、読書のきっかけでした。毎日、読書の時間を確保するため、片道30分程度費やしている地下鉄の中で、ipad miniを使って、Kindle unlimitedの本を読み始めました。最初は三日坊主だろうと思っていたのですが、これがなんと読書に集中してしまい、気がついたら降りる駅を通り過ぎたこともありました。あいかわらず、他人の書いた小説を読むのは嫌いで、むしろノンフィクション本をいろいろ読み漁っているうちに、コロナ流行の根源的な歴史的事実と出会い、そこから「マインドマップ」の線を触手のごとく、周辺に伸ばしていくうちに、日本の歴史、中国の歴史、満洲、ロシア、そしてヨーロッパの歴史などが記された本(ipadの中で)を読み漁って、気がついたらこの4年間で、三桁の数の本を読んでいました。そうすると、これまで関係がないものと思っていた事象の間でだんだん線が繋がり、メッシュのようになっていきました。

 ノンフィクション本は、筆者の主張が如実に示されています。相反する考えを記した本もたくさんあります。最たる例は、邪馬台国と卑弥呼について記された本などです。私が読んだ数冊の本はいずれも主張が異なっていました。でも、SNSと決定的に異なるのは、本を書くためには数ヶ月単位の時間が必要ですから、ウソ八百を並べるのには時間を浪費しすぎます。したがって、事実関係は別として、筆者の信念に基づき記されているはずです。SNS上の魑魅魍魎な情報ばかり見ていると、何が真実がわからなくなります。そんなとき、関連書籍を読むことが理解の助けになるはずです。それも1冊だけでなく、異なる意見の本を敢えて見つけて、いずれも読んでみることにより、最終的に自分が信じる方の主張を選択すればいいでしょう。なかなか読書をしている時間がないと思われるかもしれません。でも、1日何に時間を費やしているかを振り返ってみましょう。たとえば、スマホを触っている時間が大半を占めていたりしませんか?スマホで本を読んでいるのでしたらば、もう助言する必要はありませんが、もしLINEやゲームに時間を費やしているのであれば、その一部の時間を30分でも読書に充てるようにすれば、1年後には別の世界が見えてくるはずです。

 ここ4年ほどの読書のおかげで、プログラミングで鍛えた俯瞰力にさらに磨きがかかったように思います。世界の歴史に例えればわかりやすいでしょう。高校の世界史でも、それぞれの国で起きたことを時系列的に学ぶことはできます。それぞれの国が点であるとすれば、よりたくさんの点について情報を収集することができれば、視野も広がります。ただし、点だけの情報ですと、それらの点と点との間にどのような関係があるかはわかりません。それを知るということが高校の授業では欠落しているところであり、限られた授業時間内では限界です。実はこれら点同士の関係を知ることこそ俯瞰力には不可欠です。日本史だけ勉強しても、日本と周辺諸国との関係はわかりません。日本と中国、朝鮮、満洲、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、そしてアメリカなどとの相互関係を知ることで、まさに頭の中に事象のネットワークを形成することができ、歴史的な出来事だけでなく、その引き金になった他国からの影響が見えてきます。それは、単に、政治、経済、技術、だけでなく、宗教そして人類の起源から分化に渡るまで俯瞰することができるようになります。

 4年間の読書を通して、縄文文明にまで遡って他民族との因果関係を時系列的、地理的、宗教的、民族的に俯瞰することで、本来の日本が見えてきました。我々が忘れてしまった(忘れさせられた?)日本です。俯瞰力を鍛えるためにぜひとも読書の習慣を身につけましょう。