伝統を忘れた民族はどうなる?
昔、「祭りのない民族は滅ぶ」と言っていた、偉い先生がおりました。酒が大好きで、朝一の講義では、酒の匂いをプンプンさせて話していたことをよく覚えています。ちなみに、りっぱな車で通勤されていました。祭りといえば、各地にあるいろんなお祭り、仙台でしたらば、仙台七夕、博多なら、博多どんたく、京都なら、祇園祭り、など有名なものがたくさんあります。有名でなくても、町内会の盆踊り、どんと祭などもお祭りの一つです。最近、町内会の子供が減少したため、子供会の行事として毎年行っていた、お神輿行脚がなくなりました。また、資源回収も子供会が実施していたのですが、なくなってしまい、ゴミ捨て場に自分で捨てなければならなくなりました。
地元のお祭りなんて古臭くて、面倒なので、参加しないという人もたくさんいると思います。私もご多分にもれず、その一人です。仙台七夕も、人出ばかりで混んでおり、毎年見に行くことはありません。地元のデパートである藤崎デパートの七夕飾りだけを写真に撮ってすぐ帰ったりすることが多いです。でも、このお祭りがなくなってしまうと、地元民としては、喪失感を味わうことになるかと思います。現に、コロナウイルスのため、昨年度は中止になりました。「祭り」は「伝統」を表す一形態です。地元のお祭りには、実は歴史的にいろんな意味合いが込められています。特に、過去に起こった自然災害や疫病を記憶にとどめるために続けてきたものが多いですね。紙や電子的に記録ができない時代では、お祭りや慰霊碑などで、記憶に残すことをしてきました。電子的に記録するのは永久に残りますから、いいのですが、やはり毎年繰り返して視覚的に見せないと、記録されていること自体、忘れてしまうかもしれません。
伝統は祭りだけでなく、いろんなところに作られます。自分やご先祖の営みも伝統になります。大学にも伝統はあります。最近は、私の大学でも伝統的な行事がどんどんなくなり、一方でみなさん同じ数値目標に向かってがんばっています。大学の個性、いわゆるアイデンティティが見えずらくなっています。アイデンティティがいらないのであれば、〇〇大学を名乗る意味もなくなりますから、全国すべての大学同じ名前にして、✖✖大学仙台校とか名前をつければいいのではないでしょうか?伝統を忘れるということは、なにがアイデンティティかを忘れるということですから、〇〇大学としてある意味もなくなります。日本民族が、日本の伝統を忘れれば、日本民族であるアイデンティティを忘れることになりますから、その先になにがあるかはみなさんすぐわかりますね。