仙台再発見日記

仙台鉄道は何処

 今も有るよう無いような名前の鉄道ですが、1960年(昭和35年)まで運行されていたのが、仙台鉄道です。1919年(大正8年)創業です。古川交通や塩釜交通などと合併して、現在の宮城交通になっています。詳細についてはウィキペディアに記載されていますので、興味のある方はそちらをご覧ください。ということで、先週書いた北仙台周辺の続きです。もう一度、マップを示します。マップの中で、右上にある赤い点線が、仙台鉄道の線路があった場所になります。見ておわかりの通り、北仙台駅を始発にして、大きく東側に迂回しながら、仙台東照宮の右側を北上してから少し西側に向かい、その後、八乙女、富谷、大衡を通り、古川の辺りまで走っていました。北仙台駅近くの少し変なルートは台原段丘が関係していたのでしょう。

 仙台鉄道の以北ルートについては、いつか改めて調査してみたいと思いますが、一つ興味深いのが、元々始発駅は通町にあったようです。それが、仙台市電を北仙台まで伸ばす際に、仙台市からの要請で市の費用を使い、北仙台駅に始発駅が移されたようです。通町駅が始発だと、仙台市電を北仙台駅まで伸ばすには、どうしても交叉してしまうためでした。それで、元々あった通町駅のところは、現在は駐車場になっているという情報を入手しましたので、実際に見てみました。ちなみに、マップ中に赤字で示した北仙台駅は仙台市電と仙台鉄道の駅であると思われるところを、私が勝手に示しただけですので、少しずれているかもしれません。なぜならば、現在のJR北仙台駅周辺の道は変則的で、かつマンションがたくさん立っているため、仙台市電や仙台鉄道の北仙台駅の痕跡を、ほとんど見つけることができませんでした。何処かの資料にはちゃんと書いてあるのかもしれません。

 下の左の写真にあるように、通町二丁目バス停向かいに大規模な駐車場がありました。たぶん、ここに元々の始発だった通町駅があったものと思われます。右の写真がJR仙山線北仙台駅前の通りです。駅まで通りは斜めになっており、駅直前で左に曲がります。その先のT字路で奥州街道に繋がっています。仙台方面から真っ直ぐ駅まで繋がる道がありません。変則的な道の周りに高層のマンションがたくさん建っているのは、ある意味、JR仙山線、仙台市電、仙台鉄道の3つの駅が近くに併設されていた痕跡なのかもしれません。

 赤い点線で示した路線があったと思われるところに行ってみました。Google Mapを見ていたら、仙台鉄道の路線近くの梅田川に、四ッ谷用水九番丁堀跡があることがわかったので、ついでにそこも見てみようと、それがある場所に向かいました。そこは、上杉山中学校の北東角に当たるところでした。小さな橋が梅田川に架かっています。下の2枚の写真のように、橋の手前で梅田川にほぼ平行した細い道は、いかにも元々仙台鉄道の線路があったところのように、不自然に曲がっていました。その曲がった道路に沿って、住宅が建ち並んでいました。

 

 梅田川に架かった橋の角には、「四ッ谷用水九番丁堀跡」と書かれた木製?の標識がありました。その下に四ッ谷用水支流の排出口がありました。が、例によって、土樋緑地と同じく、ほとんど忘れ去られた場所と化して、ツタならぬ雑草のツルが絡まり、側にはゴミ集積場が設置されていました。排出口の写真は、掲載に値しないと判断して、止めました。哀愁漂う終着駅もなく、忘れ去られた排出口を見て、この日の調査は終了しました。

 そうそう、帰りに北仙台駅近くの西友の隣のビルの1階にある、クロシェットという、こじんまりしたパン屋で朝食用のパンを買いました。そこで買ったクロワッサンは、これまで仙台で買ったクロワッサンの中では三越のジョアンのそれも含めて、皮も肉厚で一番美味しく感じられました。近くに来たら寄ってみてはいかがでしょう。