お散歩コース紹介仙台再発見日記

仙台市電と秋保電鉄

 日頃、仙台市営地下鉄の南北線と東西線で出勤しています。もぐらのような日常で、あまり地上を見ることがないので、たまに地上を見るとその様変わりに驚きます。青葉通りやその先にある大橋周辺もずいぶん変わりました。他にもずいぶん変わったところはありますが、中でも長町周辺は様変わりしました。仙台駅より南には日頃あまり行かないのですが、ここのところのここでの話の流れで、少し探索して来ました。年末にザ・モール仙台長町にあるMovix仙台にゴジラ-1.0を見に行って以来です。もともと、ザ・モールがあったところには、東北特殊鋼という企業の跡地がありました。ここには昔、秋保電鉄の駅がありました。秋保電鉄は、1914年(大正3年)に開業して、長町駅から秋保温泉まで繋がる1961年(昭和36年)まで営業されていた電鉄でした。仙台に45年近く住んでいる私には、長町駅周辺というのは、仙台でも一番冴えないところという印象でした。今は発展が著しい場所の一つです。何で冴えなかったのかが、秋保電鉄の廃業に関係していたのだとわかりました。

 その秋保電鉄の始発駅である長町駅に、仙台市電の終点があったことも、ここのところの探索で知りました。仙台市電は1926年(大正15年)に開業して、1976年(昭和51年)に全線廃止されました。私が仙台に住み着いたのは、昭和56年ですので、お目にかかることはありませんでした。仙台市電は、仙台駅―大町一丁目間の路線を皮切りに、大町―大学病院間が開通して、さらに仙台市内を循環するように開通して、その後、長町や八幡町までも延長されました。長町までの延長はまさに秋保電鉄に繋げるためだったのでしょう。秋保電鉄と仙台市電が営業されていた時は、長町駅周辺も活気に溢れていたと想像します。仙台市営地下鉄南北線の仙台駅から長町南駅までの経路は仙台市電ならびに秋保電鉄があった路線とまったく同じです。南北線の河原町駅前の通りは今でも昭和市電通りと呼ばれています。

 芭蕉の辻にも始発駅があり、そこから長町駅まで市電で移動できました。江戸時代から続く仙台の町の中心地から、市電に乗って、さらに秋保電鉄に乗って、秋保温泉まで行くことができたことになります。なんか、秋保温泉に行くのは、今より便利だったのかもしれません。その芭蕉の辻は先にも書いた通り、奥州街道と大町通りの交叉地点にある商業の中心地でした。その奥州街道が、北は青葉神社、南は愛宕神社を直線で結んだ線上にあることもすでに書きました。芭蕉の辻から奥州街道は南に向かうと、現在の東北大学片平キャンパスの手前辺りで少し東側に迂回した後、南東の方向に向かい、市電ルートと交叉します。そしてさらに東南東の方向に向かいます。しばらく進んだところで急に90度右折して、少しジグザグしながら、広瀬橋のところで、市電ルートと重なって、長町駅まで続きます。その後、秋保電鉄の方向には向かわず、現在のJR.東北本線に沿って南下しています。

 奥州街道に沿って、これまた先に書いた四ッ谷用水の第三支流も流れていたようです。そして愛宕大橋の手前で、広瀬川に流れ出ていた模様です。合わせて、その支流の一部は引き続き奥州街道に沿って流れていたようです。ただし、この辺の考証はまだ不十分ですので、時間があればまたしてみます。気が付いたら、地図上に書き込んだように、情報がてんこ盛りになってしまいました。すべてを一回で説明するのが難しそうなので、今回は市電にのみ焦点を当ててみます。仙台市電保存館というのが、地下鉄南北線の南の終点である富沢駅のさらに先にある車両基地に併設されていることを知りましたので、そこに行ってみました。富沢駅から10分ほど歩いたところにあります。入口から入ると、係りのおじさんに、「初めてですか?」と聞かれたので、そうですと答えたら、展示物には手を触れない、つり革にはぶら下がらない、などと先に注意されました。写真はどんどん取ってくださいと言われました、

 その写真ですが、例によって、今回のお供は、Super-Multi-Coated Takumarの28mmF3.5にしてみました。50年程前に製造されたオールドレンズです。市場では、1万円以下で入手できます。これには独特な形をしたフードも付いていました。市電の車両を撮るので、画角が広い方がいいかと思い、これにしました。でも、後で気が付いたのですが、α7の撮影モードをAPS-Cに設定していたようで(出掛ける前にいろいろ調整していた)、28mmで撮っていたつもりが、28mmx1.5=42mmになっていました。あまり、50mmとは変わっていなかったようですが、それはともかくとして、撮った写真をいくつか紹介します。

 保存館の中には車両が3台展示されていました。木製の1号車(モハ1型)、汎用車両であった123号車(モハ100型)、そして最後の車両であった415号車(モハ400型)です。他にも車両部品や当時の写真などがたくさん展示されていました。展示写真の中に説明で、秋保電鉄にも市電の車両が流用されていたと記載されていましたので、最初のおじさんから交代したおじさんに少し聞いてみました。そうしましたら、当時はお金も余りなかったので、いろんな所で車両を融通し合っていたということです。たとえば、長崎市電は今でも現役ですが、仙台市電の車両が長崎に渡って、2019年まで使用されていたことを知りました。ただし、ゲージ幅が長崎の方が広いため、車両の筐体のみが使われていたそうです。あと、秋保温泉にも市電が1台展示されていますが、それは長崎から戻ってきたもので、仙台市電とは外装が違っているとのことでした。仙台では、自動車の普及に押されて、すべての市電が廃止されましたが、今見るとレトロでかわいい車両が、短い区間でもいいので、観光用に仙台市内を走っていれば、仙台の雰囲気もまた違って見えていたのだろうと、おじさんと雑談をしてから、保存館を後にしました。

 

今の雰囲気(明るさ補正済)
昔の雰囲気(セピア色)

 この後、富沢駅から南北線に乗って、長町一丁目で降りて、地図にあるように仙台駅の方に歩いて、いろいろ見て、撮って歩きました。途中でα7のバッテリーが切れる(初代α7の宿命)というちょっとしたトラブルもありましたが、幸いスマホを持っていたので、スマホに変えて、結局、仙台駅まで歩いて、歩き疲れて帰りました。この辺の話はまた後日に。ちなみにレンズの写りは、少し赤み掛かっていましたが、お安いオールドレンズとは思えないような、ちゃんとした写りでした。