人生の岐路
また年度末を迎えます。卒業する人、進学する人、就職して新天地で暮らす人、が私の周りにもいます。長年勤めた職場を退職して、第2の人生を迎える人もいます。人生には転機があります。そのとき岐路に立たされて、どうしたらいいか迷うときが何度が訪れます。まだ若い人は、そもそもそんなに長い人生を送っていないので、自分の人生を左右するほどの大きな岐路に差し掛かったことはないかもしれません。高校受験とか、それこそ中学校・小学校・幼稚園で受験を経験した人は、自分が岐路に差し掛かったというよりは、親が人生の岐路に差し掛かった瞬間だったかもしれません。そのような岐路に直面して選んだ選択肢は、偶然選んだものなのか、実は運命づけられていたのか、そんなスピリッチュアルなことは考えたことはありますか?
私も若い頃はそんなことを考えたことはありません。中学の入学式の帰りに、たまたま会った上級生にバスケをやらないかと言われて、そのままバスケ部に入部したこと。それが実はどれだけ人生に影響を与えるだろうなどということは考えもしませんでした。大学に入って買ったNECのPC8001が、私の人生にこんなに影響を与えるとは予想だにしていませんでした。でも、年をとって振り返ってみると、これら二つの事象は明らかに私の人生に深く影響を与えたことは間違いありません。すでに、回想録でも書きました。これら以外にも、たくさん思い当たることがあります。でも、別に願っていたことでもありませんから、事象としては偶然の出来事だった思っています。
でも最近起きたことは、本当に偶然だったのかと思ってしまうことがあります。たとえば、私の仕事では、いまから振り返れば、綱渡りの連続だったとつくづく思います。詳しいことは書きませんが、それぞれ起きた事象が一つでも違っていたら、今のようにはなっていなかったのはたしかです。ここで「今のように」という状態は、それらの事象が起きる前に、私がこうありたいと思っていた状態です。思ったようにならなかった事もたくさんありますが、幸いなことに、私が願っていたように事が進んだのかなと今は納得しています。これは偶然だったのか、それとも運命づけられていたのか。そんなことを考えることがあります。たぶん、年を取ってしまったからでしょう。誰かに導かれているという感覚になったことはありますか? まさにスピリッチュアルな話ですが。ふと、そのように思うことが最近は何度かありました。
いまこうやって投稿記事を書いていること自体、はたして偶然の産物なのか、それとも導かれているのかと考えることがあります。それら記事をまとめて4冊の本を出版しました。今年度執筆した教科書も近々(来月?)、某社から出版されます。でもいつも感じるのは、いずれも、いつの間にか書き終わっていたという感覚です。苦労して生み出した産物ではまったくありません。何となく、発作的に書き始めて、書き出すともう止まらなくなります。そして、気が付くと書き終わっていたというような感覚です。なんか、誰かに導かれているのかと思ったりします。なぜなのかはよくわかりませんが。ただ、書いているときは、シミュレーションゲームをやっているときと、頭の中は同じ世界です。みなさんも、ゲームをやっているときは時間が経つのを忘れて、気が付くと2時間くらいはすぐ過ぎていませんか?
人生の岐路に立たされたときの選択は、はたして偶然なのか、それとも導かれているのか、そんなスピリッチュアルなことを考えるようになったら、たぶん人生後半に差し掛かっているのでしょう。考えても、結論は得られないのですが。