二本松その1
年越し迫った12月28日から2泊3日で、気になっていた場所を青春18キップで旅行していました。前置きになりますが、青春18キップは新しくなり、5日連続と3日連続で使う二種類が発売されています。私は3日間有効のキップを買いました。値段は1万円です。以前は2000円だったはずが、1日辺り3300円分在来線に乗らないと元が取れなくなり、結論からいえば、元は取れませんでした。ところで、最近はみどりの窓口の数が減ってしまい、仙台は駅ビルの3階と2階だけにしかありません。ネットの説明だと自動発券機でも購入出来るとあるので、それで購入しようと思い、「お得なキップ」を押したのですが、見当たりません。仕方がないので、窓口で購入しようと思い、2階のみどりの窓口に入ったら、整理券を発券して待たなければならなくなっていました。どうも窓口にいたおばちゃんは、あれやらこれやらと旅行会社だと勘違いしているのか駅員に聞いていて、長くて長くて、20分くらい待たされて、途中で帰ろうかと思い始めたら、順番が来ました。窓口で注文して無事に購入できました。駅員さんに、自動発券機でも購入できるとネットにあったと聞いたところ、紫の発券機だということで、帰りにもう一度、発券機を見たところ、チャージ専用の発券機であることがわかりました。その時は、次回からそうしようと思ったのですが、結局は元が取れなかったので、もう買うのはやめようかと思っています。
さて、今回はいずれは訪れたいと思っていたところを訪れました。最初の訪問先は二本松です。福島と郡山の中間くらいにある新幹線は止まらない人口5万人程度の小規模の市が二本松市です。東北の人は、二本松の菊人形で知っているところかもしれません。私も以前はその程度で、失礼ながら一度も見たことがありません。でも、いまは脳裏に焼き付いてしまった地名です。なぜならば、戊辰戦争で果敢に戦い戦死した、藩士の子弟で構成された二本松少年隊のことを知ったからに他なりません。最年少は13歳です。どうでしょうか、日本の歴史において、13歳のまだ子供が戦場で戦ったのは、これが後にも先にも一度だけではないでしょうか。なお、ネットで検索する際は、「二本松少年隊」で検索ください。その理由は自ずとわかるかと。戊辰戦争については、すでに断片的にいくつは簡単に書きました。そのきっかけは江戸時代の幕末に起きた、鳥羽・伏見の戦いですが、ここではそれには触れません。興味がある方はネットで調べれば、すぐわかります。ただ、本当の史実に基づいて記されているか否かは注意が必要です。
戊辰戦争は、薩摩・長州(萩)・土佐藩などからなる官軍(新政府軍)が、幕府側に立つ藩を天皇の勅令(偽の?)に従って懲罰するため東北攻めした戦争です。会津藩の藩士は幕府の命で京都守護職に就いている際に、反幕府の長州藩士などをたくさん暗殺したとされています。新撰組と聞けば、話は繋がりますが、その新撰組についても諸説あることは前置きします。ただ、戊辰戦争の核心は会津藩への復讐であったと、私は理解しました。したがって、官軍の最大の目標は会津でした。そして、官軍が会津に向かう途中にあったのが、二本松になります。官軍が二本松に至るまでの経緯もいろいろネットでは見つけられますので、ここでは省略します。そんな中でも、官軍が東進する途中では、江戸城が無血開城されたことは知られていますが、勘定奉行だった小栗忠順が家族を守るために自ら出頭して処刑され、また長岡責めでは河合継之助が敗走途中で死去したことはすでに書きました。
官軍にとって、二本松にはなんの恨みもなかったのに対して、幕府に忠義を示すため、二本松藩は負けることを承知で、官軍の東進を食い止めようとしました。その時、すでに白河方面に出陣していた藩士不足を補うために急遽編成されたのが、いわゆる少年隊です。年は13歳から17歳の男子です。ただし、その数はわずか62名であり、勝ち戦のために構成されたものでないことくらいは、その数からわかります。
結局、前置きが長くなってしまいました。続きは次回に書きます。
