コツコツ生きる
人生を振り返るにはまだ生きた年数が短い若い人たちには、どういうことか実感できないかもしれませんが、私の人生は、まさにコツコツ生きた人生でした。いまの世の中、コツコツやっていたら、いろんなところで取り残されてしまうかもしれません。そういう意味では、いまの若い人たちがこれから、コツコツ生きられるかといえば、そうとも言えません。昔の日本人は時間の進みが遅かったのか、情報量が少なかったのか、周りに振り回されることなく、コツコツと生きることができたのか、長い年月で築き上げられた物事がたくさんあります。職人と呼ばれる人たちは、一つの技術を身につけるために、まさに何十年も修行を重ねます。そして、その道を究めた人は、匠と呼ばれたりします。時間を掛けて造る食品、たとえば、味噌、醤油、日本酒などの発酵食品の老舗を代々引き継いでいる人たちが、いまでも日本にはたくさんいます。百年以上も続く老舗が、日本にはまだ数百万軒もあるそうです。世界でも日本だけでしょう。
そんな老舗の人たちに比べれば、私の研究者人生など、ほんの一代限りの砂上の楼閣ならぬ、砂上の小城ですが、砂で小城を造るのも結構手間が掛かるかもしれません。幸いにして、私の世代はまだ、のんびり研究に打ち込めた最後の世代だったように思えるのは、曲がりなりにも40年間続けた研究を、一冊の本にまとめることが出来きました。いまの世代の人が、これから40年掛けて一冊の本をのんびり書けるかと言えば、それは無理、というよりは無意味でしょう。そんなことをのんびりやっていたら、その前に干されてしまいます。物事の善し悪しを、数値化して、それで評価するいまの時代にあって、研究業績もご多分に漏れず、数値で評価されるようになりました。たしかに研究分野の違う人たちに評価してもらうためには、共通の評価基準が必要になり、そのため考えられた数値で評価せざるを得ません。はたして、その数値が高い研究者が、本当に世の中に役に立つ研究をしているのかどうかは、別の基準と照らし合わせて確認した方が無難です。それが、研究費の獲得金額だったりします。研究費をたくさん獲得しているのだから、たぶん世の中に役立つ研究であるということでしょう。
たしかにそのような基準で評価された研究者の中に、著名な研究者は自ずと含まれてくるでしょう。でも同時に、必ずしもそうではない研究者も紛れ込んでくる恐れがあります。数値化された評価基準の中で、高く評価されたければ、その方法を考えて、そうするのがみんな考えることです。研究費を獲得すれば、評価は上がります。論文をたくさん書けば、評価が上がります。それをするために何をしているか? それは研究集団を形成します。集団で研究費を申請すれば、その中に2,3名業績評価の高い研究者が含まれていれば、研究費が採択されやすくなります。同じく、論文も著者の数を増やせば、被引用件数もおのずと増えます。なぜか? それはたとえば、10名連名の論文を出したとして、ぞれぞれの著者がその論文を引用すれば、被引用件数もすぐ10件になります。それぞれの著者が協力してそれぞれ別の著者の論文を引用しあえば、h-indexはすぐ10になります。そんなことはするなと、ファカルティ・ディベロップメント(FD)が義務付けられて、みんな、そんなことはしませんと、宣誓しているにもかかわらずですが。
私は正直者なのか愚か者なのか、FDに忠実に研究をしていることもあり、論文に関係のない著者の名前をお借りするようなことはしたことがありません(以前貸したことは少しありますが)。したがって、業績評価は相対的に自ずと低くなってしまいます。でもそのようにして自分の研究業績を上げている人たち。ふと我に返って、自分の研究ははたして何なのか?という疑問にいずれ直面することになるでしょう。なぜならば、集団で実施している研究や、多人数が著者の論文に甘んじていると、その研究者自身がはたして何に貢献しているのか、他の研究者からはわかりずらくなります。まして、集団で実施した研究の中で、自分のオリジナルだけをまとめて単著で著書など書けるはずもありません。仮に出すとすれば、その集団著者の一人として出さざるを得ないでしょう。
このままでは途絶えてしまいそうな知識を伝承するため、一念発起して急遽まとめたのが、一番の理由だったのですが。40年近くの研究をまとめて単著として出版できたことは、結果的にはよかったと思っています。自分で言うのもなんですが、まさにコツコツやった結果であり、私の生き方を象徴した書籍になりました。