人生について処世術について

めげない

 昨日まで、沖縄に出張で、出張先で投稿するつもりだったのを忘れてしまい、今日投稿します。 

 最近、世の中のことにめげそうになることがありました。そんな時、自分と思想が同じである人たちが立ち上がったことを知り、力づけられました。周りのほとんどの人たちが、世の中の流れに身を任せている中で、それが変だと気が付いたのは、5年ほど前のことです。もしかして、自分の方がおかしいのではないかと、何度かめげそうになりました。でも、自分と同じ考えの人たちがいることを知り、救われる思いでした。そして、また、世の中のおかしな流れを少しでも正してくれそうな方が、最近誕生しました。どこまで、信念を貫いてくれるかは今後、見守っていきます。この方も何度もめげそうな経験をしていることは知っています。

 これはおかしいと思ったことは、すでにこれまでいくつもここで書き溜まって、山のようになっています。でも、それを読んだ人は、「あ--陰謀論に染まっている」とか思われたのだろうと推測します。何でおかしいのかが知りたくて、関連する本をたくさん読みました。もう何冊読んだか忘れましたが、3桁の数の本は読みました。そして、一つの根源的な真実に辿り付きました。周りで流されている人たちに、それを伝えるために、拙著も3冊ほど書きました。あいにく、結局のところ、世の目に触れることはほとんどありませんでした。さて、みなさんがこの5年間をいまから振り返ってみて、何か違和感を感じたことはありませんでしたか?

 この5年間だけでなく、生まれてこれまでを振り返れば、めげそうになる経験の繰返しだったと気付かされます。何にめげそうになったか、具体的なことは書きませんが、もしそれらめげそうになった時に、心が折れていたら、いまごろどうしていたのか、いまだからこそ、冷静に振り返って見ることができます。それでは、どうしてそうならなかったのかの理由は、比較的簡単です。それは、めげそうになったが、めげなかった、ということかと。「めげなかった」の意味するところは、あきらめなかった、ではないように思います。めげそうになって、あきらめたこともあります。でも、それに代わるものを見つけて、歯を食いしばって、生きていた時もありました。決して諦めない。でも、諦めも肝心。と一見、相矛盾したことを、書いたこともあります。

 掲げた目標を達成するには、「熱意」と「信念」が必要だと、ナポレオン・ヒルは著書に記しています。「伏すこと久しきは飛ぶこと必ず高し」 これは私が好きな諺ですが、菜根譚の中にあります。「窮すれば変ず、変ずれば通ず」 これも好きな諺です。易経に書かれています。いずれも中国の古典に書かれた有名な諺です。昔の中国にはたくさん学ぶものがありました(いまは?)。このような諺を心に刻みながら、苦境のときも、なにくそ、と踏ん張って、掲げた目標に、熱意と信念を持って向かえば、決してめげることなく生きていける。実際、そのようにして、生きてきました。めげそうになった時、たとえば、菜根譚を読んでみてはいかがでしょう。