あの日から10年日記

あの日から10年

 2011年3月11日の東日本大震災から10年が経ちました。被災した一人として、大きな区切りの日です。あの地震がなければ、今でも普通に生活しているはずの多くの方々が、襲ってきた津波の犠牲になりました。また長引く避難生活で体調を崩して亡くなられた方も多くいます。改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。家を失い、住む場所を追われて、いまでも不自由な生活を強いられている方々も多くいます。これらの方々に比べたら、私自身の被災は比較に当たらないものですが、私の両親は震災の影響で亡くなりました。私の実家は東松島市(旧矢本町)の海岸から3キロほどのところにありましたが、津波で全壊しました。その時は二人とも幸い無事でしたが、その後の避難生活、そして震災10か月後に同居し始めましたが、その1年後に母は癌で亡くなりました。

 実はその2か月前に父が深夜脳梗塞を起こし、救急車で大学病院に搬送されて入院しています。幸い一命を取りとめたのですが、その後、言語機能と歩行機能に後遺症が残り、リハビリテーション用の病院に転院、そして介護施設に入居して、2017年4月に心不全で亡くなりました。震災がなければ、もっと長生きしていたはずです。ふたりともほぼ同時期に入院してしまい、私も精神的に参っていた時期があり、血圧が160を超える日々が続いたので、私も病院に行きました。それから今日まで薬を飲み続けています。あの時の両親への対応は十分だったのか、今でも慙愧の念に堪えないところがあります。でも、私が先に逝ってしまっては、残された家族は路頭に迷ってしまいますので、どうしても家族を優先せざるを得ませんでした。この辺のことはまだ話したくないので、その時が来たらまた書きます。携帯にかかってくる電話は血圧が上昇することばかりで、それから携帯電話の受信はトラウマ状態です。いまスマホですが、常に音量をオフにしています。

 自然の脅威の前に、人間は無力です。あの日に時を巻き戻せば、突如記憶がフラッシュバックして、やり場のない怒りや悲しみに襲われる方々はいまだたくさんおられるでしょう。決して消えることのない記憶を背負いながら、これからも生きていかなければならない方々のことを忘れることなく、私も生きていきたいと思います。