人生について処世術について為せば成る

為せば成る

 やっていることがうまくいかず、心が折れそうになったことはありませんか?私も何回もあります。諦めて止めてしまったこともいくつかあります。止めてしまおうと何度も思いながら、再度挑戦してうまくいったことも何度かあります。あきらめずにやってうまくいった後に、「為せば成る」とよく思います。これは、もともとは、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」と上杉鷹山(うえすぎようざん)が言った言葉とされている部分の一部です。国際学術誌に論文を投稿していた博士課程の学生が、強烈なレビューが返ってきて、心が折れそうになってしまい、私にもう取り下げたいと言ってきたとき、ここで止めたらだめでしょうといって、私も手伝って回答したところ、結果的に採択されました。その時その学生に、「 為せば成る 」ということだねといったところ、本人も本心そう思っていたようです。

 どうしてもうまくいかないことはやめてしまうのも現実的です。「夢は諦めない、でも諦めも肝心?」でも、人生の目標を設定する際には、目標は一つでなくてもいいと書きました。そのいわゆる夢を実現するため進む過程で、いくつもの関門があり、その関門を一つずつ乗り越えながら、すべて乗り越えた時に夢は実現します。そのひとつひとつの関門を乗り越える際に、それを成し遂げたいという熱意の継続性が違うことで、為せば成るか否かに分かれるのかもしれません。当然、運も伴います。それではその熱意はどこから来るでしょう?それは、それを成し遂げなければならない、それは絶対成し遂げることができる、という信念から来ると思います。この単位を落とすと留年する。この論文を出さないと修了できない。これらにはそれを成し遂げなければならないという確実な信念が生まれます。希望する会社に就職することが目標であり一つの夢ならば、単位を取る、論文を出すのは、乗り越えなければならない関門です。

  夢と目標をいっしょにするなといわれそうですし、そんなもの持たなくても生きていけます。人ぞれぞれ生き方は違います。私は目標がないとまったくやる気にならない人間ですので、いつも目標を設定しようとしています。研究者人生で慢性化してしまった一種の病気かもしれません。ただ、目標設定があいまいだと、信念にゆらぎが生じます。信念がゆらぐと、熱意もゆらぎ、諦めの気持ちに至り、結果的に関門を乗り越えるのが難しくなります。「為せば成る」と思えた瞬間を一つでも多く経験していくことで、自信もついてくるはずです。そのためには、やはり明確な目標の設定が大切だと私は思います。でも、人生それでもうまくいかないことはあります。ゆらぎのない心でチャレンジしてもだめだった時には、あきらめもつくのではないかと思いますが、いかがでしょう?