木を見て森を見ず
ミクロという言葉で、「ミクロ決死隊」を思い出すのは私より上の世代でしょうね。いま世界では、ミクロ(マイクロ)よりもっと小さい、ナノスケールの技術が開発されています。半導体がその典型です。ミクロとマクロは、数学でいえば微分と積分の世界です。科学技術が進歩して、空間はよりミクロ、よりマクロと、マルチスケールに広がり、人間も、より速く遠くに移動できるようになりました。一方、時間スケールはより短くなっています。ネットが進化してSNSが普及した結果、秒単位で新しい情報を入手することができるようになりました。時間スケールの変化は人間の生活に多大なる影響を与えています。たぶん、このブログを見ているみなさんは、手紙など書いたこともないかもしれません。手紙でやり取りすると、往復1週間は時間がかかります。Zoomに代表されるWebを使ったオンライン会話も新たな革新です。私も国内外の出張で毎週のように移動していたものが、すべてオンラインに変わりました。自宅からでも会議に参加できます。
でも、SNSでは、刻々と変化する情報を瞬間、瞬間で見ていますから、過去の情報の積み重ね、すなわち積分値が見えずらくなります。「木を見て、森を見ず」といいますが、木どころか、枝ばかり見ていることになります。時間や空間に依存した様々な事象を、微分値で見てしまうと、ある瞬間、ある特定の場所で起きていることしか認識できません。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ともいいますね。忘れることは悪いことではなく、辛いことは早く忘れたいですが、大事なことも早く忘れてしまうと少し困ったことになります。メイルだけでなく、会話しているときも、もともとの目的からずれて、別の内容に話題が移ってしまうこともよくあります。やはり、時間や空間を積分してマクロ的視点で俯瞰することも大事です。そうしませんと、周りに振り回されてしまいます。情報の時間的変化の積分値を忘れると、今接している情報の真偽がわかりずらくなります。さらに、SNSの情報は、新しい情報が入ってくるとすぐ陳腐化します。刻々と入ってくる情報に自分の軸足が振らついて、振り回されて、なにが正しいかわけがわからなくなります。大事な会議などでは、自分の主義や主張をしっかり持って議論しないと、いつの間にか話し上手な人に丸め込まれてしまいます。
自分の軸足が振らつかないようにするためにはどうしたらいいでしょうか? 私は振らつくことはないから大丈夫だと思っていても、軸足を固定している情報がそもそも間違っていたりすると、それは最悪の状態です。自分の軸足の位置は、その人の主義、主張、思想、そして歴史観などで変わってきます。それぞれの価値観にも繋がるものですから、同じであることはありません。それぞれの価値観で、その位置を動かないようにしながら、刻々と入ってくる情報の良し悪しを判断しませんと、自分の価値観が揺らいでしまいます。それぞれの価値観は絶対的なものでありたいと以前書きましたが、刻々と入ってくる情報は、その情報発信者の価値観に、いわば洗脳しようとするものです。入ってくる情報を鵜呑みにしてしまうと、いつの間にか自分の軸足が別のところに移動します。過去に入手した情報の積分値(森)を忘れずに、最新の情報(木)を見て、その善し悪しを判断することに心がけましょう。