日本人再考日高見国

方丈記

 鴨長明(かものちょうめい、かものながあきら)の方丈記(ほうじょうき)といえば、歴史の授業で名前だけは聞いたことがあるかと思います。私もその一人です。中身については、何のことやら全然知らない。私もそうでした。でも、日本の歴史に日本で起きた天変地異や災害が深く関与していたことを最近学んだ私にとっては、貴重な資料の一つと思えるようになりました。日本の歴史を記したものには、古くは古事記や日本書紀などもありますが、これらはどちらかと言えば、湾曲的に歴史を示唆する神話や物語風に書かれています。たぶん、当時の国際情勢、特に随や唐との関係、さらには国内の大和朝廷、渡来人、そして蝦夷(日高見国)などとの関係が深く関与していたのでしょう。その後、和歌や俳句などを通して、時事や政治が語られるようになっていったようですが、これもどちらかと言えば抽象的です。そんな中で、方丈記は当時の世情を極めて客観的に記した貴重な資料であることを認識しました。方丈記の方丈は、鴨長明が終の棲家として山奥に建てた庵の広さでした。掘立小屋と言った方がいいかもしれません。方丈四方で約9平米です。1辺辺り3m。信じられますかこの狭さを。6畳1部屋(1畳1.62平米)です。みなさんのアパートも、少なくともこれに台所と風呂、トイレは付いていませんか?

 原文ではないのですが、現代語訳で読んでみたところ、なぜこのような狭い庵に晩年暮らしていたかが書かれていました。詳しい話は書きませんが、もともと裕福な暮らしをしていたものが、親族が落ちぶれてしまい、30歳になったときに、よく言えば出家、別の言い方をすれば、遁世したようです。それも、周りの人たちとの人間関係に疲れてしまったような。実はいまの世の中とあまり変わらない、というよりは、本質的に同じ世の中が描写されていました。印象に残るのは、「身の丈にあった生活」という記述です。どうでしょうか?みなさん、身の丈にあった生き方ができていますか?私もなかなかできません。煩悩が邪魔をします。ただし、長明の生き方をここでは書くつもりはありませんので、話を本題に戻します。長明が生きた時代は、平安時代の末期から鎌倉時代の初期までです。この辺の歴史は私もほとんどわかっていませんが、公家社会から武家社会への変革期に、天変地異や災害が深くかかわっていたことが、方丈記から読み取れました。

 方丈記によれば、平安末期のいまの京都では、大火が2回、竜巻、大風、洪水、飢饉、そして飢餓が発生して、さらに大地震が襲っていたようです。それらが詳細に記録されています。災害のオンパレードでした。平安京は荒廃していきました。そんな中、平清盛が突然に福原に遷都を試みるものの失敗に終わって、平安京に戻って来るなど、荒廃に拍車を掛けてしまいました。この当時、天変地異は現人神である天皇の罪であるとされていたようで、それが起きると、天皇が交代して、年号が変わったりしました。奇しくも、1156年に後白河天皇が即位して、元号が保元になったその年に、崇徳天皇との間で保元の乱が起こり、破れた崇徳天皇が讃岐に流されました。その崇徳天皇が祀られているのが,先に書いた金刀比羅宮です。この内部抗争で武家に力を借りたことが、その後の武家社会に繋がる一因であるとされています。その保元の間に、数多くの天変地異や災害が発生しました。裏を返せば、朝廷は自分たちのことで精一杯だったことから、幸いにして、同時期に奥州藤原氏は、朝廷からの干渉されることなく、繁栄することができたのかもしれません。

 こんな時代の中で、平氏と源氏の武家が台頭して、それらが争い、戦乱の世になります。最初は平氏が源氏を破り、平清盛が朝廷を支配しますが、その後、源平合戦で知られる壇ノ浦の戦いで源氏が勝利して、源頼朝が征夷大将軍になります。その勢いで、奥州藤原4代目の藤原泰衡を戦いで破り、奥州藤原は滅亡しました。源義経も深く関係していますが、ここでは触れません。先にも書きましたが、天平6年(734年)にも関西で畿内七道地震が発生しました。それを機に、聖武天皇が仏教に深く帰依し、東大寺の大仏を建立するため、鍍金用の黄金を求めて、日高見国との関係が深まっていきます。日高見国では、869年にマグにニュードM8の貞観地震が起きました。2011年に起きた東日本大震災はその再来であるとされています。当時の清和天皇は、伊勢神宮に使者を使わし天災で傷ついた国内の平安を祈ったとされています。陸奥国(朝廷側から見た日高見国)の復興のため、陸奥国修理府を設置したとされています。

 貞観地震前後の日高見国にも興味があるので調べているのですが、いまのところまだ資料を見つけていません。蝦夷の英雄だった阿弖流為の時代から、その後、日高見国を統治していた安倍氏の時代の間には、200年ほどの期間があります。はたして、この間に何があったのか、今後も探索を続けます。