四季は偉大
仙台も急に涼しくなってきました。日も短くなってきました。暑い夏も長続きすると、もういいと思ってしまいますが、冬になり寒い日が続くと、もういい加減にして、温かくなってくれ、と思います。1年に春夏秋冬があることで、周りの景色、生活スタイル、飲食物、そして気持ちも季節に沿って変化します。季節があるゆえ、台風や洪水、大雪などで毎年被害にあってしまい、被災した方々はたいへんな思いをしていることも事実です。アメリカのスタンフォードに10か月ほど留学していたとき、あの辺の西海岸は、年中気温が温暖で、湿度が低く、雨も少なく、ある意味、快適な気候でした。ただ、高湿に慣れている日本人の私には湿度が低すぎて、髪の毛から静電気が発生してバサバサになったり、鼻やのどが痛くなったりしていました。それ以上に、年中気候が同じですと、ストレスは減りますが、一方ではだらだらとしたメリハリのない毎日が続いていたことを記憶しています。
日本の文明が1万年以上持続しているのは、季節があり、雨にも恵まれ、草木が絶えることなく成長したことが幸いしています。文明崩壊という著書の中で、ダイヤモンド教授は、文明は砂漠化によって滅びると書いていました。生活のために木々を伐採していくうちに、緑が失われて砂漠化してしまいます。エジプトのピラミッドやギリシャのパルテノン神殿など、我々は不毛の地に土色の建造物だけがあるようなイメージですが、その当時のピラミッドはきれいな化粧板で覆われていたり、周りは緑豊かだったようですし、パルテノン神殿も彩色豊かだったという研究もあります。でも、それらの地では人々の生活を持続させる気候が得られなかったのかもしれません。日本でも、弥生時代から平安時代に遷都を繰り返していたのは、建物や燃料に使用するため、木々を伐採して、周りに木々がなくなってしまったためという説があります。また、江戸時代に木々の伐採で自然が荒廃していく様子が、歌川広重の「東海道五十三次」の絵から見て取れるそうです。現在と比べて格段に木々の数が少なく描かれています。
明治以降は、石炭が燃料として使われるようになったため、幸いにして木々の伐採数は減りました。戦後大量に植林された杉も採算が合わないために放置されて、いまでは花粉症の原因になっています。でも、緑豊かな山々が維持されているわけですので、幸いかもしれません。私も毎年春は花粉症ですが、それでも、むやみに伐採するのはやめてほしいですね。