北のターミナル、北仙台
前回は仙台の南地区を長町辺りを中心に書きましたが、今回は仙台から北の方、特に北仙台辺りを中心に調べてみました。まず例によって、Google Mapの上に色々書き加えてみました。すると、地形的に仙台は太い帯状の半透明な曲線で示した3つの大きな段丘からなっていることがわかりました。広瀬川が長年形づくったのかどうかはよく調べていませんが、中町段丘、上町段丘、台原段丘と段々高くなります。台原は字の如くですし、以前住んでいた角五郎から八幡にかけて、きつい坂があったのは中町段丘のせいだったことを知りました。その上に、仙台市電の路線と四ッ谷用水が流れていたとされる本流ならびに主要な支流を書き込んでみました。
赤い線で示した仙台市電は、西は大崎八幡宮からいまの国道31号線、いわゆる八幡町から大学病院前の木町を通って、現在の地下鉄南北線北四番丁駅があるところで、勾当台通を南下します。一方、そこから北へ北仙台駅まで延びた路線もありました。もともとは、大学病院前から西公園通を通って大町へ行き、その後、南町通を仙台駅まで行き、駅前通を定禅寺通まで北上してから西に向かって勾当台通まで行き、その後、勾当台通を北四番丁通まで北上することで、仙台市内を周回することができました。後から、芭蕉の辻からの短路線も加わり、さらに長町まで伸びていきました。自動車の普及に押されて、採算が合わないために、1976年に全線廃止されてしまいましたが、なんとも残念でもったいない話です。一部でも観光目的で残すという発想があれば、いまでもまた違った仙台を見ることができたことでしょう。
一方、四ッ谷用水は、広瀬川の上流側にある郷六という場所から取水して、水色の実線で示すところに本流がありました、途中、上町段丘に登っているところがありますが、郷六の方が高度が高いことから水が流れてことができたのだとうと推測します。本流からは水色の点線で示したたくさんの支流が造られました。さらにその支流から細部まで四ッ谷用水は至っていたようですが、地図には示していません。段丘と四ッ谷用水を書き込んだ地図をみるとわかりますが、段丘の位置と支流の位置が深く関係しています。実は郷六の取水口から八幡に居たる用水路については今日、写真を撮っていましたが、これについては後日改めて紹介します。
市電の北のターミナルに当たる北仙台ですが、何度か来たことがあります。以前、花の写真をよく撮っていた頃、あじさい寺で有名な資福寺や、庭園で有名な輪王寺などに行きました。ですから、お寺のあるところというのが私の印象です。地下鉄南北線北仙台駅で降りて、西に向かう道があるのでそこを進み、途中、青葉神社の横を通って行きます。その頃は青葉神社自体、全く興味がなかったので、素通りしていました。ただ、道が青葉神社の前で通町公園という、こじんまりした公園に突き当たります。道はそこからS字に曲がっています。変な道程度に思っていました。でもそこが、芭蕉の辻から青葉神社まで北に延びる奥州街道の突き当たりであることを知りました。
通町公園には、辻標十三番があります。これには、通町と北山町と表記がありました。奥州街道は青葉神社の鳥居の前で90度東側に曲がって、その後、北仙台駅の西側でJR仙山線の線路を跨いで、北に続きます。線路を少し北に行ったところには、辻標四十六番があります。それには、堤町、奥州街道と表記がありました。辻標に合わせて写真を撮ったところ、地面が傾いて写っていますが、実は辻標の方が傾いていました。北仙台には1960年まで、仙台鉄道のターミナルもありました。仙台鉄道は現在の宮城交通の前身に当たります。この辺の話はまた後日にします。
書き忘れるところでしたが、今回のお供は、ちょっと?結構?マニアックなMiranda 50mm F1.4を持参しました。詳細については他の方の紹介をご覧ください。初期の物で1960年後半に製造されていたレンズです。レンズが8枚構成のところが珍しくて希少なレンズのようです。そのため、結構重いです。写りは綺麗でした。また開放した時のボケもよく捉えていました。