人生について価値観について日本人再考縄文文明

信頼

 どこかの国の白菜がホルムアルデヒド漬けされていたという、衝撃的なニュースを耳にしました。それと同時に、やはりまたね、と大いにあり得ると納得しました。以前、餃子でも似たようなことがあったかと。すぐ金儲けしたいので手段を選ばない。消費者のことなど知ったことか辺りでしょうか。当然、日本にも、金儲けのためなら人を騙すような不届き者はいます。でもそれは、日本人口の0.01%にも満たないでしょう。いま、日本国内では、外国人による犯罪が立て続けに発生しています。たまたま、起きたのなら偶然の出来事で忘れ去りますが、ほぼ毎日のようにニュースで耳にします。梨農家の梨が1500個一挙に盗まれた事件がありました。日本人でないことはこの時点ですぐわかります。仮に日本人が盗むなら、全部盗むことはないでしょう。どこかに、情けの気持ちが働いて、せいぜい100個とか。その後、メルカリに大量に梨が出品されました。どこかの外国人が出品者のようです。メルカリは盗品ではないと説明しているようですが、誰が考えても、梨を大量にメルカリに出品する時点で、明らかにおかしいのはわかります。

 みなさん、外国人から話掛けられたら、敵だと思いますか?そこまで、いかなくても、少し構えてしまいますか? ふだんあまり経験することではないので、戸惑うかもしれませんが、敵だと思う人はほとんどいないように思いますが、いかがでしょう? いま、大量の不法移民が流入して、治安の悪化や文化・伝統の破壊が進んでいる国もいくつかあります。日本ではまだそこまで緊迫する段階までは至っていないかもしれませんが、油断していると、同じ目に遇う日がきっと来るでしょう。第1次世界大戦後の1919年に開催されたパリ講和会議で、人種的差別撤廃を明記すべきであると世界で初めて提案したのは日本です。日本はこの時点で、すでに人種への多様性に寛容でした。16名の投票で、11名が賛成しました。ところが、議長を務めていたアメリカのウイルソン大統領が、「こんな重大な決議は全会一致でなければだめ」といって、提案が破棄されました。理由は明白です。アメリカでは人種差別を続けていたからです。そんな人種差別をしている国で、民族間の調和などあり得ないでしょう。

 日本人が肌の色にかかわらず他民族に寛容なのは、日本に旅行に来た外国人なら、すぐ納得するはずです。言葉の壁があっても、もし困っていそうな外国人を見れば、助けてあげたいと、少なくとも心の中で思っていませんか? ただ、それを実行するのに、躊躇してしまったりはします。そんな、日本人の心理を知ってか知らずか、観光地を我がもの顔で、大きな声を出して歩いている観光客が、最近増えています。日本人から見れば、異様な姿なのですが、本人からすれば、至って普通に行動しているのかもしれません。そんな外国人を見ても、よほどのことがない限り、日本人は注意したりしないでしょう。でも、たとえば、奈良公園の鹿が蹴飛ばされれば、周りで見ている日本人の誰かは注意するはずです。それに、逆ギレされたりします。ほとんどの国の観光客は、鹿と仲良く写真を撮ったり、鹿せんべいを与えたりしています。一部のマナーの悪い観光客のために、その人の母国自体のイメージが悪くなってしまいます。世界中で自分勝手な行動をしていると、それが積年のイメージとなり、その国民自体の信頼性はどんどん落ちていきます。

 同じアジアに住む民族は、みんな似て見えるため、以前は欧米人には区別することが難しかったようですが、最近は積年のイメージのお陰で、欧米の人たちも区別が出来るようになったらしいです。見た目でわからなくて、ある質問をすると、その質問に対して、知っていると答える人と、知らないと答える人にはっきり分かれた、どこの国の人かが区別できるそうです。積年のイメージは強烈に焼き付けられて、その良し悪しのイメージはそう簡単には変わりません。安いけどすぐ壊れてしまう粗悪品を買うか、少し高いけど信頼できる一流品を買うか、の違いだったりします。あいにく、信頼というものは短期的に築き上げることはできません。信頼を得ようとすれば、何十年もの年月の地道な積み重ねが必要です。これからの時代は、お金よりも、信頼が勝る時代になると、私は思います。信頼のない国は誰からも相手にされず、自ずと淘汰されていくでしょう。