久しく尊名を受くるは不詳なり
三国志好きが高じて、司馬遷の「史記」にもハマっていたことがあります。とはいえ、横山光輝のマンガなどですが。史記といえば有名な歴史書ですが、その中身は、兄弟、親子で殺した殺されたといった血なまぐさい内容ばかりです。先に、歴史は勝者が作ると書きましたが、世の中にある歴史書のほとんどは勝者によって書かれたか、書き換えられたものがほとんどでしょうし、敗者の書物は焚書されたりしてしまいます。そんな中で、史記は時の体制を支配していた皇帝や王のあからさまな内容が書かれており、勝者とは無縁の者により書かれた歴史書として、たいへん貴重なものです。司馬遷は、中国前漢、武帝の時代に、父親からの遺言で、史記を執筆し始めましたが、有らぬ罪をかけられ、死罪か宮刑(男性シンボルの切除)の選択を迫られ、屈辱のもと、宮刑を選択して、父親の遺言を果たすため、隠れて史記を執筆しました。そんなわけで、内容は真実に近いものだと思います。
史記の話については、また別途書くことにしまして、その中でひとつだけ、呉と越の時代に、越の軍師だった、范蠡(はんれい)が残した言葉として有名なものに、「久しく尊名を受くるは不詳なり」があります。「臥薪嘗胆」や「呉越同舟」などのことわざでも有名な、紀元前500年前後の中国春秋戦国時代にあった呉と越ですが、この二国の争いで最終的に勝利した越の句践(こうせん)のもとを、役目が終わったとして、さっさと去っていき、斉という国で新たな事業を起こしていました。そんなとき、その才能を買われて、斉の国から宰相への就任を懇願された際に、范蠡が言った言葉とされています。いつまでも栄誉にしたっているのは、災いのもとになる、として就任を断りました。たぶん、史記がなかったら、このような逸話も残っていないでしょうね。
ここで書きたかったのは、この言葉の重みですが、これはいまの日本のみならず世界にもピッタリ当てはめることができます。いつまでも権力にしがみついている権力者はもちろんのこと、ボケてんじゃねーの的な長老の政治家、学術界を牛耳っている研究者(ちなみに、「牛耳る」も史記の春秋戦国時代由来)、会社をダメにしてしまう放漫経営者、などなど。共通していることは、みなさん、「承認欲」「支配欲」に駆られています。人間の本能ですから、みなさん、本能に任せて生きているのでしょうね。みんな周りでは早く引退しろと思っているのに、本人だけ気が付かないのでしょうか。「権力」、「金」、「優越」、「支配」などの中毒が二重、三重に覆いかぶさっているから、自分でドーパミンの分泌を止めることができないのだと私は思います。
「驕れる(おごれる)もの久からず」ということわざもあります。SNSの時代になって、久しく尊名を受けている人たちは、自分では気が付いていなくても、周りは結構それに気が付いているように思います。正しい方向に修正する周りの圧力がますます増えることを期待したいですね。